
Group Exhibition of Photographers
写真の中に見えるモノ展 2025
2025.03.19 wed. - 30 sun.
12:00〜19:00
月・火曜お休み/日曜・最終日は18時まで
写真を通して自己を表現する写真のグループ展、第二弾。
そこ(写真)には、彼らの生き方が在ります。意識せずとも考えや暮らし方、置かれた環境によって様々な人生が投影されます。異なる時間、異なる場所、異なる被写体。それらは、決して多くの人に求められることを考えるのではなく、心から向き合える誰かに向けたモノです。もしかするとそれは自分だけに向けたメッセージなのかもしれません。
人生は自由です。彼らは自分だけのピントを探る旅の途中に存在しています。学生として学んでいる者、社会に出て間もない者、プロを目指している者、何度目かの夢を追っている者、海外から日本で活動している者。皆それぞれに自由な世界の中で、不自由を感じながらも、懸命に生きています。
彼らの写真にはそれぞれ見えない感情の余白があります。写真家が捉えたその瞬間の真実とは別に、見る側がその先を想像する感情の余白。そこにある彼らの人生を写真の中に見てもらいたい。同時に写真の中にあるあなたの人生も感じていただきたい。
artist profile

001:田中大
東京都出身、東京を拠点に活動。
大学卒業後、広告会社に勤務。
倒産するタイミングでアメリカで数年過ごす。
日常の些細な変化を感じるように、写真を撮っている。
2022 Gallery Conceal Shibuya 合同企画展「PEACEFUL」
▷SUT GALLERYに入った瞬間、
駄菓子屋さんのような
雰囲気が懐かしく感じました。
大人になった今、
あの頃の憧れと楽しかったこと。
今ではうっとうしくなったこと。
それらを写真に収めました。
穏やかなギャラリーの雰囲気と
共によろしくお願いします。
https://www.instagram.com/n_n_hiro/

002:Ryo Inoue
写真家/1977年新潟県生まれ。東京都在住。
20年間カーメカニックとして働いてきたが、2019年よりフォトグラファーとして活動を開始。独自の視点で撮影する家族写真を基盤にしながら、人物を被写体としたクライアント業務と作品制作にも積極的に取り組む。
▷花の時間/When flowers can be flowers
僕の家に来て 枯れてゆく花たち 誕生日の花だったり 結婚記念日の花だったり なんでもない日の花だったり スーパーで安売りされてた花だったり 花を見てきれいだなと思うけれど 花を写真にしようとはあまり思わなかった
(当たり前の存在が唐突に失われて)
僕の世界を見る眼差しが変わった それは瞬く間の出来事のようで どこまでも長く引きのばされているようだった 花を写真にすることで 瞬くような引きのばされた時に 終わりをあたえることができる
https://www.instagram.com/ryoninoue/

003:タナカ ハルキ
2003年千葉県生まれ。
洗足学園音楽大学音楽学部に在籍。
音楽を学ぶ傍ら、写真や執筆など、
複数の分野で横断的に制作を行う。
音楽プロジェクト
「SONATINE」としても活動。
▷ わたしたちが生きる世界は、
綺麗なことばかりじゃない。
それでも、雲は流れる。
それでも、夕陽は焼ける。
わたしたちは、
同じ時の流れの中を生きている。
あり得ない速さで回転する世界に、
不意に現れた美しさを拾い集めた。
ままならない日々を生きている、
ひとつの人生の記録。
どこにでもある、大切な思い出の記録。
https://www.instagram.com/_harukitanaka_/

004:onyoro
パーカッショニスト・イラストレーター。
音楽大学を卒業後、日々の演奏活動のかたわら、ものづくりを行う。
2023年には、音楽と絵を合わせた作品による個展「たからもの展」を開催。
チャイが好きで、メニューにチャイを見つけるととりあえず頼みがち。
わくわく生きていきたい!
▷ 「白昼夢」
目を閉じていても感じる、
差し込む光のまぶしさと、
影のおだやかな心地よさ。
あなたが見ている緑と
わたしが見ている緑は
違うかもしれないけど、
あなたが見ている白と黒は、
光と影は、
わたしと同じ気がする。
モノクロフィルムと、言葉と、ドローイングで、2024年の瞬間たちを切り取りました。
https://www.instagram.com/onyorogramer/

005:Hsiangning Wu
台湾高雄生まれ。
東京都在住。
暮らすように
ふらっと旅していて、
旅するように生きている。
デザイン、写真活動をしつつ、
クリエイティブユニット
「Kumoism」としても活動中。
▷写真を始めた頃、シャッターを切ることで何でも永遠に残せる気がしていた。しかし、シャッターを切れば切るほど、いずれ失われることを意識するようになった。
家族や友人と過ごした日々、過ぎ去って二度と戻らない一瞬。別れはいつかくるという思いを心に抱きながら、撮り続けてきた。
日常の断片を切り取っても、何かを本当に留めたことはない。写真は、かけがえのないものが消えてしまったことを語り、失われ続ける現実に向き合う証である。
https://www.instagram.com/hebetobubu/