Joji Hayashi
SPECIAL INTERVIEW
JOJI HAYASHI
SPECIAL INTERVIEW
2022.9.21 mon.
Interview:Hajime Shimizu
Text:Rika Watanabe
Top image:Hajime Shimizu
Photo:Ryo Inoue
林丈二さんの肩書きって何になるのでしょう。文章も書けば、イラストも描く。明治文化研究家であり、路上観察学家でもある。若いころ、実家の医院を継ぐことを拒み、思い立って武蔵野美術大学に入学。キャンパスで出会った奥さまと、言葉をかわさないまま直感で結婚を決意。せっかく入社したサンリオを辞めて、好きなことをとことん追求していく。これぞ、まさに、インスピレーションの人。つまるところ、林丈二さんは林丈二さんたるべく生まれてきたんですね。
人生って「おっ!」と思ったもののその中に
自分のなんかしらが入ってるんですけど、
まあ、いわゆるオッタマゲーションマーク(!)のね。
その中に何かがあるわけで。
そこから次にくるのがクエスチョンマーク(?)なんですけど、
これと、これと、これさえ意識していれば、
人生はずっと楽しくいけるんですよ。
林丈二さんといえば「マンホールのふた」を思い浮かべるひとも多いと思います。どうして惹かれるようになったのでしょう。
〈サンリオ〉を退社してからフリーのデザイナーになったのですが、しばらくして母が亡くなったんです。58歳という若さで。母は医者の家に嫁いで、ずっと家と医院を切り盛りすることにかかりっきりだった。自分のやりたいことも、きっとあったでしょう。でも、できなかった。でね「急がなきゃ!」と思ったわけですよ。僕だっていくつまで生きられるかわからない。それなら、好きなことをして生きていこう、と。
マンホールの蓋の写真は、実は学生時代から撮り始めていました。古本屋で買ったデザインの本に、マンホールの蓋の写真が何種類か載っているページがあって、おもしろいな、と。自分で撮った写真はいつかまとめて本にしたい、とは思っていたのですが、そんな悠長なことは言っていられない。だって、その前に死んじゃうかも知れないんだから。で、仕事を続けながら、1年かけて日本中を歩き回って一気に撮影しました。もう休みも何もなかったですね。テレビもいっさい観なかった。
本にするために、最初は大きな出版社に掛け合いました。でも「マンホールのふたなんて」と言われてしまって。そしたら、知り合いの小さな出版社の人がね「面白そうだからうちでやろう。マンホールのメーカーさんにスポンサーになってもらおう」と。で、日本でいちばん大きい〈日之出水道機器株式会社〉って九州のマンホールのメーカーに行ってみたら、そこの部長さんが、マンホールの蓋の歴史に関心がある人だったんですよ、たまたま。それで販売促進用に1,000冊だけつくることになりました。
「マンホールのふた」がきっかけで、路上のさまざまなものに興味を持ったり、いろいろな人とつながったりするようになったんですね。
マンホールの蓋の写真を撮って歩いているときに、地図を使ってマーキングして行きました。同じところを歩いて無駄な作業をしなくていいように。でもね、マンホールの蓋以外にも、面白いものがあるんですよ、路上には。気を取られないようにはしていたんだけど、どうしても気になるものが出てくる。そのひとつが『ニワトリ・テレビ』です。壊れたテレビの中で飼われているニワトリがいて、生き物だから、いま撮っておかなければ死んでしまうかも知れないでしょ。で、シャッターを切った。それが今でいう路上観察的なものにつながっています。
「ニワトリ小屋テレビ」1982年4月10日
東京都北区にて/撮影:林丈二さん
「靴底で集めたヨーロッパ」1984年ごろ。ヨーロッパ100日(非売品)
その後、地図をたどって東京を歩こうと思い立ったわけですが、調べてみたら23区内で歩ける道1万1,000キロくらいで、毎日10キロ歩けば3年半くらいで歩けちゃう。とはいえ、実際には365日そんなことばかりしていられない。いまはその8割くらい歩いたかな。でもね、目的は、歩くことじゃないし、地図をたどることでもない。なにか面白いものを見つける、そしてそれを楽しむ。感覚としては、道草なんですよ。たとえば、写真を撮るにしても、ただ言われたままのものを撮る人もいるでしょ。それが悪いわけじゃなくて、ほかの人とは違うものを見つけて表現したいなら、自分が惹かれることを探さないと。結局、僕は誰かのために何かをやっているわけじゃなくて、自分を喜ばせるためにやっているんです。
そんな自分のためにやっていることに興味を持ってくれたのが、作家の赤瀬川原平さんや建築史家の藤森照信さんたちです。彼らが興味を持ってくれたもののひとつに『靴底で集めたヨーロッパ』というのがあるのですが、これは、ヨーロッパを歩いているときに、足を痛めないよう靴の底についた小石をはじくりだしたことがきっかけ。石たちを眺めているうちに、捨てちゃうのはもったいないなあ、と。実際、ビンに詰めて飾ってみたら、それぞれの街の色が感じられて、なかなか美しい。そういえば、『靴底で集めたヨーロッパ』ってタイトルをつけてくれたのも赤瀬川さんだったかなあ。赤瀬川さんとの出会いは、僕にとって本当に僥倖でしたね。このまま僕のやりたいと思うことを続けていっていいんだ、と思えるようになったんですから。
その後、『サライ』と『毎日グラフ』で連載がスタートするわけですが、どんな記事を書いておられたのですか?
とにかく思いついたことを、誰もやっていないこと書いてみようと考えていたかなあ。雑誌の仕事がくる前に、アイディア帳にやりたいをバーッと書いていたんですよ。だから、実は、それを順番にこなしただけっていうか。最初に書いたのは、夏目漱石の『吾輩は猫である』の猫のこと。これは、実際に漱石が飼っていた猫で、漱石の奥さんの文章に、真っ黒い猫だって書いてあったんです。文京区の千駄木で飼っていて、早稲田に越すときに連れて行ったと。もともと野良の雄猫だったというので、その周辺で子孫がいるんじゃないかと考えて、探しに行きました。そういうフィールドワーク的なことって誰もやっていない。そしたら、真っ黒いのがいましたよ、すぐ近くのお豆腐屋さんに。僕は、絶対、あいつだと思います(笑)
2001年8月1日 猫はどこ?/廣済堂出版より
結局のところ、何を思いつくか、がスタートになるんですね。そのひらめきが「起承転結」でいえば「起」。といっても、僕は筋が通ったことが苦手で、いつも「起承転転」なんですが(笑)どうしたら面白くなるか考えて、文章と写真やイラストとで表現することが「承」や「転」。あえていえば、人によって違う見方こそ「結」ですかね。作品を見る人にも「こんなふうにも見える」「あんなふうにも見える」といろいろな捉え方をしてほしいです。
僕はアイディア帳をつくっていますけど、何か表現したい人は、そういうものがあるといいですね。記録しておくと、その中には自分自身の何かが入ります。記録しなかったら、自分が感じたことも忘れちゃう。人によって見る部分は違っていて、どこにピントを合わせるかはそれぞれだけど、ピントは合わせなきゃダメなんですよ。曖昧に見ていたらぼんやりするだけで、その先の広がりがない。1回ピントを合わせる作業をすると、自分が気に入ったものにピントが合うようになるし、楽しみも広がります。
SUTでは『旅の絵日記 ―エハガキの愉しみ3ー』が
人気なのですが、絵はがきについてお聞かせください。
もともとは、入院中だった漫画家の杉浦日向子さんを励まそうと絵はがきを出したのがきっかけです。その後、旅先から家内に、僕が元気でやっているということを知らせるために書くようになりました。家内宛だけで100枚はあるかな。どうせ書くなら、家内が楽しんでくれたらいいな、そのために僕も旅を楽しもう、そんな気持ちでしたね。
「旅の絵日記 ―エハガキの愉しみ3ー」より
いわゆる絵はがき的なものっていうのは、観光絵はがきじゃないですか。それはそれでいいんだけど、誰もが気がつく素晴らしいものじゃなくて、僕は、目立たないなかに小さな光を放っているものに気づいて、それを知らせたい。その土地の暮らしが見える何かとか、ね。
今はSNSでアップしたりもしていますが、それらは絵はがきみたいに形が残らない。自分の手を実際に動かして表現するという時間をかけて、それに気持ちを乗せるっていうのは、デジタルの画像とは絶対に違うんじゃないかな。見る人にとっても、こういう手ざわりの感覚みたいなものは、すごく面白いと思うし、何かしらが伝わると思っています。
2022年9月21日撮影・取材時、アトリエにて(展示販売予定)
最後に、アトリエについて伺います。終活として、アナログ的に整理していた資料をデータ化なさっているとか。
この終活は、僕ひとりでやっているわけではなくて、家内が手伝ってくれているんです。いや「手伝う」じゃなくて「一緒に」かな。二人三脚っていってもいいくらい。「えーっと、あのときのあれは…」なんてことは、家内のほうがよくわかっているかも。ほんとうに、有難い存在です。それと、あのときの僕の直感にも感謝ですね(笑)
僕にとって、アトリエは、自分の頭の中を分類・整理した棚と同じなんですよね。アイディア帳の大がかりなものっていうか。だから、PCで膨大な量が処理できるようになって、本当によかったです。今回SUTさんのイベントで、僕のアトリエを再現してくれるというので、どんな展示になるのか、僕自身すごく楽しみにしています。
現在は、いわば“第一次”の終活で、ほぼ半分整理が終わっています。PCがない時代は、全部コピーして、新聞記事なんかはA4にひとつの記事を入れるようにして分類していました。これが膨大になってしまって、処理できなくなったんですよ。項目だけでも2,000ぐらいあるし、どんどん細分化していくうえに、要素もさらに増えていく。なので、スキャンしてデータ保存するようにしたんです。具体的には、新聞記事は項目だけで18万件入っています。明治の資料に関しては14万件。それらが、いまは検索すればいつでもすぐに取り出せる。PCに保存するようになって、部屋の中の棚を全部なくすことができました(笑)。
2022年9月21日撮影・取材時、アトリエにて、奥様節子さんと
林丈二
イラストレーター・エッセイスト・明治文化研究家・路上観察家 ほか
1947年 誕生・東京練馬区
1954年 小学校の頃より絵を描くのが好き
1960年 小学高学年では学友の趣味を調べるなど、
調査マニアの片鱗をみせる
1968年 武蔵野美術大学産業デザイン学科入学
カメラを携えた街歩きの楽しさを知る
1970年 古本屋で見つけた雑誌
「インダストリアルデザイン」で
マンホールの蓋と出会う
1970年 マンホールの蓋
初撮影『荒玉水道』(11月12日)
1972年 山口県萩市
何かにみえてしまうもの初撮影(2月29日)
1972年 サンリオ入社
スヌーピーのキャラクターデザインを担当
1977年 サンリオ退社 フリーとなる
1981年 母の死をきっかけに
マンホールのふたの出版を決意
1981年 1年間脇目も振らず
東京のマンホールの蓋を見て回る
1981年 父親から頼まれた調べ物をきっかけに
明治の新聞を読み始める
1984年 マンホールのふた〈日本編〉出版(3月30日)
1985年 藤森、赤瀬川、南氏らと出会う
1985年 1日で5県を歩く
アイデア帳「あれもこれもやりたい帳」に
登録(6月13日)
1986年 マンホールの蓋〈ヨーロッパ編〉出版
1986年 藤森、赤瀬川、南、松田らと
『路上観察学会』設立(昭和61年)
1988年 雑誌「毎日グラフ」にて
初の連載執筆(1990年まで)
1989年 雑誌「サライ」創刊と同時に連載(約10年間)
1995年 1日で5県を歩く
栃木県・群馬県・茨城県・埼玉県・千葉県(6月16日)
2002年 日本絵葉書会創立・参加
2005年 1日で東京の23区すべてを歩く(6月23日)
2006年 第10回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展
日本館/路上観察 参加
2018年 林丈二の路上探偵 番外編:路上探偵in台湾
2018年 林丈二作品展「鬼はどこ?」
2019年 林丈二の路上探偵 Vol.10.3「伊豆探偵」
2019年 路上探偵ー啄木の事件簿ー
2021年 根岸及近傍図を読み解くトークイベント
2022年 林丈二のあれもこれも展 in 中目黒SUT
林丈二/出版物
1984年 3月 マンホールのふた(日本篇)
1986年12月 マンホールの蓋(ヨーロッパ篇)
1984年 4月 目玉の散歩ノート
1989年 9月 街を転がる目 玉のように
2005年 8月 路上探偵事務所
1994年 7月 がらくた道楽
1995年10月 ブリュッセルの招き猫
ヨーロッパ旅の絵本
2001年 8月 猫はどこ?
1998年 8月 型録・ちょっと昔の生活雑貨
2000年 9月 明治がらくた博覧会
2000年 6月 西洋アンティーク 絵葉書
2003年 3月 犬はどこ?
2016年 9月 文明開化がやって来た
2004年 3月 東京を騒がせた動物たち
2008年11月 猫やネコ 林丈二の101猫物語
1999年 3月 閑古堂の絵葉書散歩―東編
1999年 4月 閑古堂の絵葉書散歩―西編
1994年 3月 こんなに面白い上野公園
「歩けば」シリーズ
1992年 4月 イタリア 歩けば…
2001年 5月 イタリア 歩けば…
2004年 7月 パリ 歩けば…
2002年 5月 ロンドン 歩けば…
1993年 7月 フランス 歩けば…
2000年 2月 オランダ 歩けば…