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Hsiangning Wu Solo Photography Exhibition
TOKYO DEAD BODIES
2025.04.18 fri.-04.27 sun.
12:00-19:00
月火休み/最終日は18時まで
台湾出身のHsiangning Wuさんの写真展
『TOKYO DEAD BODIES』を開催します。
蔦屋書店に入り、棚の上に並んでいる雑誌の表紙にメディアで頻繁に見かける若手俳優の写真が載っているのを見て、「世の中って、大して立派でもないのにカッコつけて面白くないやつばかりだね」と思った夜であった。
わたしはいかにして心の中で膨れ上がる怪物と折り合いをつけるのか考えずにはいられなかった。
昼間は身を潜めて眠り、夜になるとカメラを手に取り、ぼんやりと街をさまようようになってから、1ヶ月半が経った。
ここ数年の間、街に溶け込むように見え、普通であろうとするために、心が枯れていくのを冷めた目で見つめる日々を送っていた。
通りを行き交う人間は、資本主義に飼いならされた社会の歯車であり、無機質にすぎない。
疑うことなく権威に従い、地位と名誉に囚われて、群れをなし、暇そうに浅い話を垂れ流し、勝手に人間を序列化し、機嫌を取るために意見や調子を合わせる。
会議、数字、マナー、決まり、綺麗な言葉遣い、世間話、愛想笑い、意味のない修正…いつの間にか、わたしもこんなことばかりやっている無機質のような存在になっていた。
…ダサい。
くだらない。
むなしい。
書店を出て、酒臭いニオイが染み付いた中目黒の高架下で、世間が勝手に貼り付けたレッテルを取り払った後でも、何かを残せる存在でありたいと気づき、そのために生きる覚悟を決めた。
意識が冴えている夜に、都市の隙間で、無機質にレンズを向け、シャッターを「切り続ける」ことで、消えかけた自分の一部が必死にあがいて生まれ変わり、羽を広げ、舞い始めるような気がする。傍観者ではなく、本当の「人間」に最も近い瞬間である。
夜に眠り、普通の人のように生きるためだけに、心身に強い苦痛を抱えていた。わずかな覚醒時間を大切にし、自分の内面に全力で向き合い、激しく動き続ける脳内宇宙を抽出して現像し、生み出す「モノ」にのみ責任を持つ。
それだけで十分だ。
Hsiangning Wu
台湾高雄生まれ。
暮らすようにふらっと旅していて、旅するように生きている。
デザイン、写真活動をしつつ、クリエイティブユニット「Kumoism」としても活動中。
https://www.instagram.com/hebetobubu/
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